【神崎美月の知的好奇心】公然わいせつ罪の境界線―二人だけの視線は「罪」になる?

「公然わいせつ罪。不特定多数が認識できる状況で、みだらな行為をすること。法律はそう定義しているわ。でも、もしその熱い視線が、たった一人…『あなた』にだけ注がれていたとしたら?それはまだ『公然』の罪にあたるのかしら。」

私のXでの問いかけ、気になって眠れない夜を過ごしたかしら?あの投稿の続きを、今夜はこの書斎で、あなただけにこっそりと教えてあげる。法が引いた冷徹な線引きと、私たちの心が求める熱い秘密の境界線。そのスリリングな探求に、どうぞ最後までお付き合いくださいね。

目次

第一部:知の深掘り ― 法が裁く「公然」の本当の意味

まず、私たちの思考の出発点となる刑法174条、公然わいせつ罪について、その知的な骨格を確かめておきましょう。この罪が成立するためには、主に3つの要素(構成要件)が必要です。

  1. 公然と
  2. わいせつな行為を
  3. すること

この中で最も解釈が難しく、私たちの今回のテーマの核心となるのが「公然性」という言葉。多くの人は、「大勢の前で」といったイメージを抱くかもしれないわね。でも、法学の世界はもっと緻密で、時に冷酷なほど客観的よ。

判例によれば、「公然」とは「不特定または多数の者が認識しうる状態」と定義されているの。ここで重要なのは、「実際に誰かが見たか」ではなく、「誰かが見ようと思えば見ることができたか」という「認識可能性」で判断される点よ。

Xで私が投げかけた「たった一人…『あなた』にだけ」というシチュエーションを考えてみましょう。例えば、夜の公園のベンチ。向かいのマンションの一室にいるあなただけに分かるように、私がコートの下の秘密を少しだけ見せたとする。この時、私の視線や意図は、確かにあなた一人に向けられている。でも、もしその瞬間、偶然散歩中の人が通りかかったら?マンションの別の部屋の誰かが、ふと窓の外を見ていたら?

そう、たとえ行為の受け手が「特定」の一人であったとしても、その状況が「不特定の第三者」に認識される可能性があれば、法はそれを「公然」と判断するの。実際に、過去の判例では、停車中の自動車内での行為であっても、外から容易に覗き見ることが可能であれば「公然性」が認められたケースがあるわ。鍵がかかっているか、カーテンが閉まっているか、そういった物理的な遮断がなければ、「二人だけの空間」は法的には守られないのね。

つまり、法律はあなたの熱い視線も、私の秘めた意図も考慮してはくれない。ただ淡々と、「その状況は、第三者から見られる可能性があったか、なかったか」という客観的な事実だけで、罪の成立を判断する。これが、知の探求の第一歩。冷たいけれど、まずは直視しなくてはならない現実よ。

第二部:官能への応用と思索 ― 境界線上で交わされる視線の共犯関係

さて、ここからが本題。法律という無機質なルールを、私たちの血の通った官能の世界に引き寄せてみましょう。

法が定義する「公然性」とは、「不特定の第三者に認識されるリスク」のこと。でも、考えてみて。この「リスク」こそが、禁断の果実を何倍にも甘美にするスパイスだとは思わない?

二人きりの密室での行為は、もちろん安心感に満ちていて素晴らしいものよ。でも、カフェのテーブルの下でそっと触れ合う指先、満員電車で背中に感じるあなたの体温、向かいのビルの窓越しに交わす意味深な微笑み…。そういった「公然」の場で交わされる、二人だけの「秘密」のサイン。なぜこれほどまでに私たちの心を掻き立てるのかしら。

それは、私たちが「社会的な存在」であることの裏返しなのかもしれない。普段、私たちは理性や社会規範という名の鎧を身に着けて生きている。その鎧を纏ったまま、その内側で、たった一人とだけ危険な共犯関係を結ぶ。この背徳感とスリルが、脳内に快感物質を駆け巡らせるの。法が引いた境界線を知っているからこそ、その線を踏み越える一瞬の煌めきに、抗いがたい魅力を感じてしまう。

もし私が、あなたとホテルのバーで隣り合って座っているとする。周りには大勢の客がいる「公然」の空間。でも、私の言葉や視線、脚を組み替える些細な仕草が、あなただけに向けられた特別な意味を持つとしたら?それは法的には何の問題もない、ただの会話。でも、私たちの間には、誰にも見えない、けれど確かな官能の電流が流れている。

法律は「認識可能性」という外形的な基準で線を引くけれど、二人の魂が交わす内面的な「合意」までは裁くことができない。むしろ、その法的なリスクがあるからこそ、私たちの秘密はより深く、より強固な絆で結ばれるのかもしれないわね。「もし見つかったら…」という恐怖と、「それでも、あなたとこの瞬間を共有したい」という欲望がせめぎ合う、その一点にこそ、エロスの本質が凝縮されているように、私には思えるの。

罪と罰のテーブルの上で、あなたと私だけがルールを知りながら興じる、危険なゲーム。法は私たちの外側を縛る鎖かもしれないけれど、その鎖の音さえも、愛の営みを彩るBGMに変えてしまう。そんなしたたかさと大胆さを、大人の女は持っているものよ。

結論

法律の知識は、時として無味乾燥なものに思えるかもしれない。けれど、その意味を深く理解すれば、それは自身を守る盾になるだけでなく、日常に隠された官能の在り処を照らし出す光にもなるの。

「公然性」という冷たい法の概念も、私たちの手にかかれば、愛の駆け引きをスリリングにするための舞台装置に変わる。法が引いた境界線、その上で踊る私たち。それは罪なのか、それとも愛の戯れなのかしら。

ねぇ、あなたは、どう思う?この境界線の上で、私とどんな秘密を分かち合いたい?

また一つ、法という堅苦しい学問に、艶めかしい意味を与えてしまったわね…。私の書斎の秘密を、また一つ知ってしまったあなた。次の夜も、ここで待っているわ。


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この記事を書いた人

はじめまして、美月です。昼間は丸の内で働くコンサルタント。夜は、誰にも言えない秘密のレビューを、この場所だけで綴っています。あなたと、特別な時間を共有できたら嬉しいな。

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