2025年10月1日(水) 曇りのち雨
鎧を脱いだ日。あるいは、自ら檻の扉を開けてしまった日、とでも言うべきかしら。
今朝の私は、少しどうかしていたのかもしれない。クローゼットに並ぶ、いつもの戦闘服――シャープなラインの高級ビジネススーツ――に、どうしても腕を通す気になれなかったのだ。まるで、分厚い鉄の仮面を被るような息苦しさを覚えて。
その代わりに手に取ったのは、身体の線をしなやかに拾う、上品なネイビーのシルクワンピース。普段はプライベートな会食でしか着ない、特別な一枚。これを着てオフィスへ向かうことが、どれほどのリスクを伴うか、頭では理解していた。これは私にとって、「鎧」ではなく、私のすべてを白日の下に晒す「皮膚」そのものなのだから。
案の定、オフィスに一歩足を踏み入れた瞬間から、空気が変わった。同僚たちの視線が、まるで粘着質のテープのように、私の身体に貼り付いてくる。すれ違いざまに投げかけられる「神崎さん、今日雰囲気違うね」という言葉は、賞賛なんかじゃない。それは、獲物を品定めするような、雄たちの探るような眼差し。特に、いつもは無機質な数字しか見ていないはずの男性アナリストたちの目が、私の胸の膨らみから、ウエストのくびれ、そしてヒップの丸みへと、無遠慮な軌跡を描くのがわかってしまう。
肌が、粟立つ。
怖い、という感情よりも先に、ぞくぞくとした背徳的な喜びが、背筋を駆け上がっていく。なんてこと。私は、この視線の愛撫を、心のどこかで求めていたのだわ。
極めつけは、午後イチのクライアントとの最終プレゼン。ガラス張りの会議室。私の真正面に座ったクライアント企業の役員が、プレゼンの最中、何度も、何度も、テーブルの下の私の脚に目を落とすのを、私は気づかないふりをしていた。上品なストッキングに包まれた膝、そしてワンピースの裾が作る僅かな影。彼の視線がそこに突き刺さるたび、私の身体のいちばん奥深くが、きゅう、と疼く。
プレゼンは完璧だった。けれど、私の頭と身体は完全に分離していたわ。ロジカルに言葉を紡ぐ口とは裏腹に、下着の中は、もう取り返しのつかないくらい、恥ずかしい有様になっていた。
「…失礼します」
限界だった。会議室を出て、まっすぐ向かったのは、フロアのいちばん奥にある化粧室。個室のドアに鍵をかけた瞬間、私は堪えきれずに壁に背を預けた。はぁ、はぁ、と自分の吐く息が、信じられないくらい熱い。
鏡に映る自分は、誰?
頬は上気し、瞳は潤み、口元は微かに開いている。知的で冷静な「神崎美月」はどこにもいない。そこにいたのは、ただ見られることで興奮し、熟れた果実のように濡れそぼってしまった、淫乱な痴女の顔。
スカートの裾を、震える手でゆっくりとたくし上げる。ストッキングの上から、熱く湿ったその場所に指を触れさせた瞬間、「ひっ」と声が漏れた。ダメ、仕事中なのに。こんなこと、絶対にあってはいけない。
でも、もう思考は麻痺していた。
目を閉じれば、今日の私に注がれた数多の視線が、まぶたの裏で蘇る。同僚たちの好奇の目。クライアントの、いやらしい欲望を孕んだ目。それらすべてが、私の指先とシンクロしていく。
「んっ…ぁ…」
声を出さないように、唇をきつく噛み締める。個室の冷たい壁が、火照った背中を冷やすけれど、それすらも新たな刺激となってしまう。皆がすぐそこで仕事をしている。その事実が、私をさらに追い詰めて、奈落の底へと突き落とす。
短い、けれどあまりにも深い快感の波が、全身を駆け抜けていった。
しばらく、その場で動けなかった。荒い呼吸を整え、乱れたワンピースを直し、鏡の中の自分を睨みつける。頬の火照りは、まだ引いていない。
何事もなかったかのように個室を出て、自分のデスクに戻る。PCのスクリーンに映る複雑なグラフや数字が、まるで別世界の出来事のように感じられた。
今日の私は、Mという本性を、このオフィスという戦場で、密かに露出させてしまった。自ら蒔いた種だとしても、この疼きは、今夜もきっと、私を眠らせてはくれないのだろう。
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