あの夜。
仮面の会員制クラブで、会則第三条を一度も使わずに帰った、あの夜…。
あの夜のことを思い出す・・・
【神崎美月の痴女日記】仮面の会員制クラブ、目隠しを選んだ夜
窓のない部屋で、四人の男が、私の「いいえ」の一言で息を止めた。あの静けさを、私の身体はまだ覚えていた。
裁判で勝っても、依頼人に頭を下げられても、もう渇きは癒えない。
もっと。
あの夜より、もっと危険に見える場所で、私の本性を晒したい。
ただし、危険に見えるだけの場所で。
二通目の封筒
二通目の黒い封筒が届いたとき、私は会則に赤ペンを入れた。
条件は、一枚の便箋にまとめた。依頼人に出す和解案と同じ書式で。
一、朝のラッシュの車両を、一両そのまま再現すること。吊り革、手すり、窓の外を流れる景色、揺れ、車内放送まで。
二、乗客は六人。全員が会員で、全員が今夜の台本を読み、承諾していること。
三、私が吊り革を二度握り直したら、次の段階へ進んでよい。吊り革から手を離したら、全員がその場で止まること。
四、台本の台詞は、私が書く。乗客は、見知らぬ他人として、下品に演じること。
返事は、翌日に届いた。
「すべて承りました。第三条は、従来どおり有効です」
再現車両
西麻布の地下に、その車両はあった。
廃車になった通勤電車の内装を、そのまま移したのだという。くすんだ緑の座席。広告の跡が残る中吊り。窓の外には、朝の住宅街が流れていく映像。床が、本物と同じ周期で、かすかに揺れている。
「次は、表参道。表参道」
録音の車内放送が流れた瞬間、私は笑いそうになった。毎朝、私が乗っている路線だった。調べたのだ。私が条件に書かなかったことまで。
身体のラインを一本残らず拾う、黒のタイトなニットワンピース。その下は、素肌。ブラジャーも、ショーツも、着けていない。

(あら、神崎美月。ついに、そこまで来たのね)
もう一人の私が、窓に映る姿を冷ややかに分析する。
(違うわ。ここまで来させたのは、私よ)
車両には、スーツ姿の男が六人。全員が、通勤客と同じ白いマスクをつけている。会則第一条。互いの顔は、問わない。
私は、いちばん混んでいるドアの前に立ち、吊り革を握った。
台本どおりに
揺れに合わせて、男たちが寄ってくる。
背中に、硬い胸板が密着する。目の前にも、もう一人。整髪料と、汗の匂い。台本に「安い整髪料の匂い」と書いたのは私だ。本当にそうしてきた。
ノーブラの胸が、人の圧で潰される。ニットのざらついた繊維が、硬くなりはじめた先端をこする。それだけで、背筋に甘いしびれが走った。
私は、吊り革を二度、握り直した。
お尻に、男の手が触れた。台本の一行目。ニットの上から、肉の感触を確かめるように指が食い込む。
もう一度、二度握る。
指が、ニットの裾をくぐった。何も着けていない熱い素肌に、直接。
「……っ」
後ろの男が、台本どおりに息を呑んでみせた。
「……すげえな、こいつ。穿いてねえ」
私が書いた台詞だった。自分で書いた下品な言葉を、他人の声で耳元に囁かれる。それが、こんなに効くとは思わなかった。指が、裂け目に沿って、ねっとりと上下する。台本を書いている最中から、私はもう濡れていたのだ。

横の男の手が、腰を抱き、胸をニットごと掴んだ。
「こっちもノーブラだぜ」
指先が、尖った先端を見つけて、爪の先でかりかりと引っ掻く。後ろの指は、いちばん敏感な尖りを的確に捉えて、こね回す。前の男は、触れずに、ただ私の胸を見ている。見るだけの役。それも、私が割り振った。
後ろから、横から、前から。満員電車の中で、三人の男に同時に。毎朝乗っている、あの路線の、あの揺れの中で。
「……あ、ん……ふ……っ」
声を殺せない。このままだと、ここで、いってしまう。
吊り革を離せば、全部止まる。それを知っていて、私は指が白くなるほど、吊り革を握りしめていた。
「次は、表参道。お出口は、右側です」
多目的トイレ
ドアが開いた。
車両の先は、駅の通路を模した短い廊下で、その突き当たりに、多目的トイレの扉があった。これも、私が書いた。
「逃がすかよ、痴女さん」
「こっちだ」
男たちが、私の腕を取る。乱暴に見える強さで。私が書いた強さで。
扉の前で、私は一度だけ立ち止まり、男たちを振り返った。六人のうち、三人の胸元に、黒いカードを一枚ずつ差し入れる。
「あなたと、あなたと、あなた。……それ以外の人は、外で聞いていて」
鍵が、内側からかけられた。消毒液の匂い。冷たい蛍光灯。本物そっくりの、手すりと鏡。
「さて……」
一人目が、ニットの裾を掴み、一気に胸の上までまくり上げた。台本では、ここに「ゆっくり」と書いておいた。でも、彼は速かった。
「……いいわ。そのまま、乱暴に」
台本にない一行を、私が足した。
「うわ……本当に、なんにも着けてねえ」
「電車の中で、ずっと尖らせてたもんな」
足が、大きく開かされる。裂け目からあふれたものが、太腿を伝っていく。

「ほら、言えよ。自分が何なのか」
二人目の男が、台本の一番最後に書いた台詞を口にした。これを書いたとき、私は自分の手が震えているのに気づいていた。
「……私は、痴女です。自分で全部決めて、ここに来た、痴女です」
台本の答えは、「欲求不満のメスです」だった。私は、それを言わなかった。代わりに、本当のことを言った。
順番は、私が決める
床に膝をつく。冷たいタイル。
「あなたは、口。あなたは、後ろから。……あなたは、最後よ」
一人目のものが、唇に押し当てられる。濃い、男の匂い。私は自分から舌を出し、先端の形を一度だけ確かめてから、それを迎え入れた。喉の奥を突かれて、目の端に涙がにじむ。口の端から、よだれが伝う。
背後で、二人目が私の腰を掴んだ。熱い先端が、ぬかるんだ入り口に押し当てられ、そこで止まる。台本どおり、私の言葉を待っている。
口が塞がっている。言葉を探した。台本の言葉は、もっと上品だったはずだ。
「……入れて。私の、おまんこに」
一気に、奥まで来た。
口と、奥と。二つの熱が、同じ拍で私を満たす。仮面のクラブで覚えた、あの飽和。でも、今夜は違う。ここは、毎朝私が通る駅の、多目的トイレの形をしている。いつ誰が来るか分からない、と身体が錯覚する。錯覚だと、頭は知っている。その二つの隙間で、私は今までにないほど深く締めつけていた。
「すげえ、締めてくるぞ」
「口もサボんなよ」
男たちの下品な声が、蛍光灯の下で反響する。全部、私の書いた台詞。それなのに、一つ聞こえるたびに、奥からあふれる。
「あ、あ、ああああっ……!」
いった。口に咥えたまま、後ろから貫かれたまま。
「まだよ。……三人目」
痙攣の残る声で、私は言った。三人目が、私の顔の前に立つ。
もう、何が何だか分からない。口も、奥も、男たちの熱でいっぱいで、私は自分で書いた台本の最後のページを、自分の身体で読み終えた。
生の危険より
男たちは、私が「終わり」と言った瞬間に、全員が一歩下がった。外で聞いていた三人も、扉の向こうで、ぴたりと足音を止めたのが分かった。
冷たいタイルの上で、私は震えていた。よだれと、自分のものと、男たちのものにまみれて。
以前の私なら、こう書いただろう。管理された背徳ではなく、生の危険な場所で扱われる本当の屈辱を知ってしまった、と。
でも、違う。
満員電車も、駅のトイレも、男たちの下品な声も、全部、私が設計した。設計したから、私はいちばん深いところまで、安心して壊れられた。
本物の満員電車では、こんなふうには壊れられない。あそこにいる人たちは、誰も私の台本を読んでいないから。

次の封筒が届いたら、もっと長い台本を書こう。
この背徳的な夜の続きを、貴方も目撃する…。
私の、ここでの密やかな告白は、ほんの序章に過ぎないわ。
昼の私と夜の私の物語は、連載『痴女弁護士・神崎美月』で続いています。新しい話のお知らせと、ここでしか読めない番外編は、メールマガジンでお届けします。








