11月5日(水)曇りのち、欲望の驟雨
また、やってしまった。
午前二時を回った事務所の会議室。インクの匂いと、焦げついたコーヒーの香り。モニターには、明朝の証人尋問のための想定問答が、何十ページも並んでいる。
「神崎先生、この時系列表、日付が一日ずれてませんか?」
アソシエイトの悲鳴に近い声。私は眉ひとつ動かさず、彼のモニターを覗き込み、数秒で原因を特定してみせた。
「契約日と引渡日を取り違えているわ。基本中の基本よ。次から気をつけて」
冷たく突き放す声。揺るぎない自信。それが、神崎美月の「ON」の姿。若手が畏敬と少しの恐怖が混じった目で私を見るのを感じながら、自分の席に戻る。
けれど、鎧の内側で何かが蠢いていることには、私しか気づいていない。ブラジャーの下で、硬く尖ったままの先端が、シルクを押し上げている。相手方を論理で追いつめ、若手の未熟さを断罪するたびに、身体の奥が、きゅう、と甘く疼く。支配する快感と、その反動のように湧き上がる、支配されたいという黒い欲望。
深夜三時。乗り込んだタクシーのシートに深く身を沈めたとき、スマートフォンが淡く光った。アプリで知り合った、彼からの通知。
『予約、取れた。三時半から一時間』
彼のことを、私は心の中で「変態さん」と呼んでいる。『君みたいな女が、ぐちゃぐちゃに乱れるところが見たい』。その一言で、私は彼を選んだ。
予約を入れたのは、私だった。都心のホテルの、夜間だけ貸し切れる日本庭園。宿泊客も入れない時間に、一時間だけ。誰の目もない場所で、誰かに見られているかもしれないと怯えながら歩く。それが、私が彼に出した注文だった。
庭園の東屋
タクシーを降り、ホテルの裏手の木戸を、受け取った鍵で開ける。夜気がひんやりと肌を撫でる。石灯籠の明かりだけが、飛び石を照らしている。
庭のいちばん奥、鍵のかかる東屋の前に、彼のシルエットがあった。
「遅かったじゃないか、美月さん」
「……ごめんなさい。期日の準備が、長引いて」
「言い訳はいい。入れ」
命令口調が、たまらなく心地いい。そういう口調で話して、と最初に頼んだのは私だ。東屋の引き戸を閉めると、彼が内側から掛け金を下ろした。
狭い空間に、彼の匂いが満ちる。彼は私の顎を掴み、上を向かせた。
「これから、庭を一周してもらう。もちろん、ただじゃない」
彼がポケットから出したのは、小さなリモコンと、卵の形をしたもの。
膝が笑いそうになる。彼の腕が、それを支えた。
(あら、神崎美月。その顔、最高に傑作よ)
もう一人の私が、冷ややかに囁く。
(法廷であれほど隙を見せない女が、自分でこんな夜を予約して、玩具を待っている)
取り決め
「先に、決めたとおりにいくぞ」と、彼が言った。
止めるときは、「閉廷」と言う。それを言えば、彼はリモコンをその場で私に渡す。声を出したら、東屋に戻ってからお仕置き。お仕置きの中身は、私が先に紙に書いて渡してある。
「……はい」
彼は私のスカートをまくり上げ、シルクのショーツの上から、裂け目を指でなぞった。
「もうこんなに濡らして。本当にスケベな身体だな」
「ひゃっ……!」
「こっちを向け。自分の姿を見ろ」
東屋の柱に掛かった小さな鏡に、私たちが映る。スカートをまくられ、下着をあらわにされながら、怯えたような、どこか恍惚とした顔をした、私の知らない私。
いや。そんな目で見ないで。そう思うのに、彼の指が濡れた布の上で円を描くたびに、背筋を甘いしびれが走る。もっと、と身体が勝手に求める。
彼はクロッチを横にずらし、冷たいプラスチックを押し当てた。
「ひっ……」
ゆっくりと、入り口に沈められていく。最初は抵抗していた内側が、次第にそれを受け入れ、媚びるように濡れていく。完全に埋め込まれたものが、私の中で、かすかに存在を主張している。
彼は私のスカートを直し、何事もなかったように、私の髪を優しく撫でた。
「俺は少し離れて歩く。変な素振りを見せたら……」
リモコンのスイッチが、一瞬だけ押された。
「んんっ……!」
ぶるっ、と強烈な振動が、いちばん敏感な場所を直撃する。しゃがみ込みそうになり、柱に手をついて耐えた。
「……分かったな?」
悪魔のような笑み。私は涙目で、こくこくとうなずいた。

灯籠の下で
東屋の外は、さっきより冷たく感じた。裸で夜に放り出されたような心細さ。彼は数メートル後ろを、他人のように歩いている。私の運命は、彼の手の中のリモコン一つ。
飛び石を、ゆっくりと踏んでいく。ハイヒールが石を打つ音と、心臓の音が重なる。この庭には、私たちしかいない。予約を入れた私が、いちばんよく知っている。それでも、植え込みの向こうに誰かが立っている気がする。いつ振動が来るのか。その恐怖だけで、下腹がじくじくと熱を持ち、埋められたものの周りから、じゅわりとあふれていく。
石灯籠の下を通り過ぎた、そのときだった。
身体の中で、狂った蜂が羽ばたくような、激しい振動。
「くっ……ぅ、あ……!」
足を止め、松の幹に手をついた。声が出ちゃう。息ができない。腰が勝手にくねる。誰にも見られませんように。そう願いながら、心のどこかで、この姿を誰かに見られたいと願っている自分がいる。
(ほら、見てごらん。あなたの綺麗な脚の内側を、あなた自身のものが伝っていく。灯籠の明かりで、ストッキングの上からでも、その濡れた筋がはっきり分かるわ)
振動が、尖りだけでなく、もっと奥まで響いて、内側がひくひくと痙攣する。止めて、もう、いってしまう。歩かなきゃ。足に力が入らない。
「閉廷」と言えば、全部止まる。
その一言を、私は奥歯で噛み殺した。
振動は数秒で止まった。よろよろと歩きながら、後ろの彼を睨む。彼は口元に笑みを浮かべ、もっと歩けとでも言うように顎をしゃくった。この悪魔。この変態。でも、この人を選んだのは、私。
その後も、彼は気まぐれにスイッチを入れた。池の橋を渡るとき。鹿威しが鳴ったとき。弱い振動、強い振動、心臓の鼓動のように刻むパルス。私はそのたびに足を止め、息を殺し、嵐が過ぎるのを待つ。ショーツの中はもう、歩くたびに粘つく音がしそうなほど濡れていた。
自分の口で
庭を一周して、東屋に戻ったとき、私は立っているのがやっとだった。掛け金が下ろされる音を聞いた瞬間、その場にへなへなと崩れ落ちた。
「はぁ……っ、はぁ……っ、もう、むり……」
「何が無理なんだ?」
彼は私の前にしゃがみ、汗で額に張りついた髪を、指で優しく払った。
「声、何回出した?」
「……三回」
「お仕置きの紙、何て書いた?」
それを書いたのは、私だ。三回声を出したら、こうする、と。
「……自分の口で、どうしてほしいか、言う」
「言ってみろ」
言えるわけがない。そう思うのに、言わなければ、この熱から解放されない。身体の奥が、彼の本物の熱を求めて、張り裂けそうに疼いている。玩具ではない、硬くて、熱い、本物が欲しい。
私は震える唇を、必死に動かした。
「わ……私の……」
「聞こえないな」
「……私の、おまんこを……変態さんの、おっきいので……めちゃくちゃに、してください。もう、我慢できないの」
言った。自分で書いた罰を、自分の口で。
内側で、何かがぷつりと切れた。羞恥が限界を越えて、倒錯した興奮に変わっていく。涙で滲んだ視界の中で、彼が満足そうに微笑んだ。
彼は、私の中から玩具を抜き取り、代わりに、熱く硬くなった自身を、私の目の前に差し出した。
「舐めろ」
私は四つん這いになり、その先端に舌を這わせた。彼の匂い。彼の味。
それから、彼は私の腰を掴み、一気に奥まで沈めた。
「あぁああっ……!」
玩具とは比べものにならない熱と硬さ。脈打つ命の動きが、散々焦らされて敏感になりきった内側を、激しくこすり、えぐっていく。
すごい。彼の熱が、私の全部を溶かしていく。いちばん奥の、いちばん気持ちいいところを、何度も、何度も。
彼の腰の動きが激しくなる。私の身体が、彼の律動に合わせて跳ねる。熱い奔流が奥の奥へ注がれた瞬間、私は、灯籠の明かりの中で、大きく弧を描いて果てた。
鎧を着る前に
どれくらい経ったのかしら。
東屋の畳の上で、私は荒い息を繰り返していた。彼の腕に抱えられながら、自分から立ちのぼる、私と彼の混じった匂いを嗅いでいた。
貸切の終わりまで、あと十分。明日になれば、私はまた鎧を着て、法廷に立つ。
でも、今だけは。
この庭を予約し、この男を選び、自分で罰を書いた、淫乱でスケベな痴女のままでいたかった。
この背徳的な夜の続きを、貴方も目撃する…。
昼の私と夜の私の物語は、連載『痴女弁護士・神崎美月』で続いています。新しい話のお知らせと、ここでしか読めない番外編は、メールマガジンでお届けします。







