11月7日(金)
深夜二時の電話会議が、ようやく終わった。ニューヨークの共同代理人たちは、私の出した和解の修正案を、全員一致で受け入れた。
"Great work, Mizuki. As always."
いつもの言葉。いつもどおりに、何も満たさない言葉。
翌日の夜、私は一つの小さな箱を、ハンドバッグに入れて家を出た。中身は、先の少し反った、黒いシリコンの小さなものと、それを遠くから動かすための、細長いリモコン。
箱を買ったのは私だ。リモコンを渡す相手も、もう決めてあった。
Bar Epitaph
銀座の路地の奥、看板の出ていない会員制のバー。カウンターは八席だけ。奥に、鍵のかかる化粧室が一つ。木目のパネルと真鍮の金具。ここの化粧室は、店の誰よりも口が堅い。
Xは、カウンターの端に座っていた。半年前に終わった仲裁で、相手方の代理人だった男。審理のあいだ、彼は一度も私の目を見なかった。見ないようにしているのが、私にはよく分かった。
私は、隣の席に座って、カウンターの下で彼の手を取った。
その手のひらに、リモコンを置いた。
彼の指が、一瞬、止まった。それから、ゆっくりとリモコンを握りしめた。
「……もう、入れてあるのか」
「家を出る前から」
カウンターの下

一杯目のマティーニが来たとき、最初の振動が来た。
弱い。けれど、確かに、いちばん奥のすぐ手前で。私はグラスを持ったまま、表情を一つも動かさなかった。バーテンダーが、オリーブの位置を直している。
振動が止まる。また来る。今度は、少しだけ強い。
「……仲裁のとき、なぜ一度も私を見なかったの」
声が震えないように、言葉を区切った。
「見たら、負けると思った」
振動が、一段上がった。グラスの縁に置いた指先が、小さく跳ねた。
化粧室の鍵

三杯目の途中で、私は席を立った。
奥の化粧室の扉を開けて、中に入る。木目のパネル。鏡。真鍮の洗面台。扉を閉めた。
鍵は、かけなかった。
鏡の前に立つと、頬が赤かった。振動が、また来る。ブラウスの下で、先端が痛いほど尖っている。スカートの中で、シルクの小さな布が、もう役に立たないほど濡れていた。
三十秒後、扉が開いた。
鏡の前

Xが入ってきて、後ろ手に鍵をかけた。かちり、という音。
私は鏡を向いたまま、ブラウスのボタンを自分で外していった。一つ、二つ、三つ。鏡の中で、彼の目が、今度は逸らされなかった。
「……ずっと、見ていいのよ」
彼の手が、背後から、むき出しになった胸に伸びてきた。ポケットの中で、リモコンが押される音がした。振動が、いちばん強くなった。
「あっ……ぁ、あ……っ」
声が、木目の壁に吸い込まれていく。鏡に両手をついた。膝が、がくがくと震えた。
取り出す

「……出して。あなたの指で」
スカートをたくし上げた。ガーターとストッキングのあいだ。濡れきったところに、彼の指が入ってくる。中で震えているものを、指先で探り当てて、ゆっくりと引き抜いた。
抜けた瞬間、内側が、空っぽになったことに耐えられないように、ひくひくと痙攣した。
鏡の中の私が、彼を振り返って見上げていた。
「……代わりに、あなたのを」
真鍮の洗面台

ベルトの金具が鳴った。
洗面台の縁に手をついて、腰を後ろへ突き出した。熱く硬いものが、震え続けていたせいで敏感になりきった入り口に押し当てられて、そのまま、奥まで沈んできた。
「んっ……!」
振動とは違う。重くて、熱くて、脈を打っている。奥を突かれるたびに、真鍮の蛇口が、かたかたと鳴った。
鏡の中で、二人の目が合った。仲裁の席では、一度も合わなかった目。
「……負けて、いいわよ」
それを言った瞬間、彼の腰の速さが変わった。
波が、二人同時に来た。鏡に額を押しつけたまま、奥で彼が脈打つのを感じた。何度も、何度も、私の中が彼を締めつけて、離さなかった。
四杯目
カウンターに戻ったとき、バーテンダーは何も言わずに、新しいマティーニを二つ置いた。
Xの手から、リモコンが私の手に戻ってきた。
「次は、君が持つのか」
「どうかしら」
リモコンをハンドバッグにしまった。事件は、もう終わっている。彼と法廷で向かい合うことは、二度とない。
次に、これを誰の手のひらに置くか。それは、まだ決めていない。
この夜の続きを、貴方も目撃する…。
昼の私と夜の私の物語は、連載『痴女弁護士・神崎美月』で続いています。新しい話のお知らせと、ここでしか読めない番外編は、メールマガジンでお届けします。








